童謡伝道マガジン「ふんふん」H・U・N企画

今夜のお話なあに

2019.8.2今夜のお話なあに

「屋久島の民話」より 屋久聖人如竹さんとガラッパ

 ある日のこと、屋久島の安房の船が荷物を運んで鹿児島にのぼっていったときに、顔が白い男が壷を抱えてきて、こう言うたそうな。
「船頭さん、この壷、安房どんにやってくれんかい」
 そういうて、壷を渡すと、
「頼んだよ」
と、その男はどこかに消えてしもうたそうな。
「はてな? 屋久島に安房という村はあるが、安房どんという人は聞いたことなかがあ」
と、船頭さんは思うたが、男はいなくなるし、壷は預かったままで仕方なく、船で屋久島に戻ったそうな。
 屋久島についてから、船頭さんが壷の中をみたら、手紙がはいっていたそうな。
 でも、その手紙の字は、何が書いてあるかさっぱりわからん文字だった。
「これは如竹さまに見せにゃあ、わからんな」
 そうして、さっそく如竹さんの所に持って行った。如竹さんは、びんだれちゅう髪を洗う時のたらいに水を入れて、その中に手紙をさらしてみたそうな。
「ふむふむ、これはこれは面白いことが書いてあるぞ。千人の尻こをば抜いて、この壷に塩辛にして送れと書いてある」
「ええっ? 変なことを書いてあるもんじゃ。いったい誰がこんな変なことを書いたんじゃろ?」
「川内(せんだい)の川の人からと書いてあるが?」
「誰さねに、書いたもんですかいな?」
「宛は、安房の川の人に対してじゃなあ」
「えーっ?」
 さすが鍛えぬいた船頭さんでも、とんとたまがってしもたそうな。
 薩摩の国の川内川のガラッパから、屋久島の安房川のガラッパに宛てた「人の命をとれ」ということを伝えてきた手紙ではないか。
 如竹さんは、さっそく、安房川の唐船川(とうせんこ)よりももっと川上に上がって、岸辺の大きな岩に、墨で「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながら大きな字でお題目を書きました。
 ところが、安房川のガラッパがひょこひょこと川から上がってきたかと思うと、そのお題目を消していきました。
 そこで、また、如竹さんは墨を筆にいっぱいふくませて、またお題目を唱えながら「南無妙法蓮華経」と書きました。
 すると、また、ガラッパがやってきて文字を消しました。
書いちゃあ消し、書いちゃあ消し、消しちゃあ書き、消しちゃあ書き、これは何日も続いたそうな。
 まさに、如竹さんとガラッパの真剣勝負でどっちが勝つかわからんまま、七日目に入ろうとしたそうな。
 如竹さんは、大声でお題目を唱え始めました。
「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」
 七回目のお題目を唱えたあとに書いた文字は光り輝いて、大岩にしっかりとその文字を浮かび上がらせたのです。
 如竹さんは、大きな声でさけんだそうな。
「お前たちより人間が上じゃ。この川で人の尻こを抜いてはならんぞ」
 それから、安房川でガラッパに尻こを抜かれて亡くなった人はいないということです。
 川内川と、安房川は川の大きさは違うが、どっちも悠々と流れてゆく気位の高い川で、兄弟の川といわれているそうな。
 しかしな。
「川内に行って川内川は安房川に似ておるとか、屋久島に行って、安房川は川内川に似ておるとはいうんじゃないぞ」と言われているそうな。
 もしも、そんなことを言うたら「ガラッパに尻こ抜かれる」と、みーんな思おとるらしいからなあ。
 とんと、おしまい。

文/もり・けん
1951年大阪市生まれ。
長年勤めた幼児教育出版社を
43歳で退社し、モンゴルに渡る。
自然に添うように生きる遊牧の暮らしを学び帰国。以後モンゴルの正しい理解と亡くしてしまった日本の心を取り戻せと訴え続ける。

日本の童謡の普及のため、作詞(新しい童謡の創作)、演奏(昔からある良い童謡の伝承)の両面で展開、全国各地を講演、ハーモニカによるコンサート活動は海外にも及びモンゴルを始めロシア、中国、北欧のフィンランドやスウェーデンなどの子供たちとも交流している。

文部科学省の財団法人すぎのこ文化振興財団の環境ミュージカル「緑の星」をはじめビクター「ふしぎの国のアリス」などを発表、絵本、童話、童謡など子供のための創作活動をしている。

現在、日本音楽著作権協会会員、日本童謡協会会員、詩人、ミュージカル作家、作詞家、ハーモニカ奏者。梅花女子大学、朝日カルチャーセンター、読売文化センター、ヤマハ音楽教室などの講師を勤める。