童謡伝道マガジン「ふんふん」H・U・N企画

今月の童謡

2020.5.1新着今月の童謡

鯉のぼり


鯉のぼり
文部省唱歌 不詳・不詳

一 甍(いらか)の波と 雲の波、
  重なる波の 中空(なかぞら)を、
  橘(たちばな)かおる 朝風に、
  高く泳ぐや 鯉のぼり

二 開ける広き 其の口に、
  舟をも呑(の)まん 様(さま)見えて
  ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
  物に動ぜぬ 姿あり
  
三 百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
  わが身に似よや 男子(おのこご)と
  空に躍(おど)るや 鯉のぼり

鯉のぼり
 作詞は不詳のままでしたが、作曲については、弘田龍太郎が音楽学校2年生の時の作品とわかり、最近の楽譜には掲載されているものも出回ってきています。
 昭和22年、『五年生の音楽』に掲載するときに、2番の歌詞は削られたそうです。しかし、現在では、1番から3番までが広く歌われています。
 歌詞は、こいのぼりの雄大さを讃えると共に、子どもがこいのぼりのように雄大に成長するようにという願望を歌っています。
 「甍」は瓦のことです。
 3番は、中国に伝わる伝説「登龍門」の内容、『鯉が龍になるためには、まず滝を登らないといけない。滝に登った鯉は龍となることができ、龍になる門が開かれる』という話からきています。
 弘田龍太郎は、1892(明治25)年に高知県安芸市に生まれました。一弦琴の名手であった母親から音楽的才能を受け継いだといわれています。
父の転任に従がって、3歳のとき高知を離れ、千葉師範学校附属小学校、三重県立第一中学校(現・三重県立津高等学校)を経て、1910(明治43)年東京音楽学校(現・東京藝術大学)器楽部ピアノ科に入学。
東京音楽学校では本居長世に師事。1914(大正3)年に東京音楽学校を卒業して助手となりましたが、1917(大正6)年に設置された作曲部に再入学。同研究科卒業後も同校授業補助となり、さらに文部省邦楽調査委員を委嘱されました。
宮城道雄や本居長世らの新日本音楽運動に参加して、洋楽と邦楽の融合を模索。1918(大正7)年鈴木三重吉によって児童雑誌『赤い鳥』が創刊されると、「赤い鳥運動」に参加。北原白秋等と組み、多くの童謡を作曲しました。


  今月の童謡を皆さんで歌ってください。園、学校、グループでの歌唱、演奏の様子を映像で送っていただけますでしょうか

【あて先】H・U・N企画
〒530-0037大阪市北区松ヶ枝町6-12西栄ビル2F
(株)カード&メディア内
TEL:06-6352-8005 FAX:06-6353-1393

CopyrightHunkikaku2015
掲載記事の無断転載を禁じます。
掲載しました作品の著作権は、「H・U・N(フン)企画」に属します。
文中の商標等は各社に属します。