童謡伝道マガジン「ふんふん」H・U・N企画

今月の童謡

2020.8.1新着今月の童謡


旗野十一郎 吉田信太
一 空も港も 夜ははれて
月に数ます 船のかげ
端艇(はしけ)の通い にぎやかに
寄せくる波も 黄金(こがね)なり

二 林なしたる 帆柱(ほばしら)に
花と見まごう 船旗章(ふなじるし)。
積荷の歌の にぎわいて
港はいつも 春なれや

*林柳波の補作 昭和22年『三年生の音楽』採譜の際に訂正されたもの
二 響く汽笛に 夜は明けて
いつか消えゆく 空の星
大漁の歌も いさましく
朝日を浴びて 船帰る

  日本人が作曲した初めての三拍子の曲が、この『港』です。1896(明治29)年、『新編 教育唱歌集(第三集)』に収録されています。
作者のことや、モデルとなった地域のことなどについては、1973(昭和48)年の調査までは不明でした。この調査の結果、作詞、作曲者がわかりました。
作曲の吉田信太は、東京音楽学校にて、国文学を旗野十一郎に、作曲を小山作之助に学びました。ある日、小山作之助先生が生徒を集め、旗野十一郎の『みなと』の歌詞に30分で曲をつけさせたのです。小山先生が見てまわり、「これはいい」と思ったのが、吉田信太のものでした。吉田は、広島高等師範の助教授、広島県立広島高等女学校の教員も務めました。
1944(昭和19)年に、2番の歌詞がむずかしいという意見が教科書編纂委員から出て、編纂委員の一人だった林柳波が新しい歌詞をつけたようです(上記*)。
しかし、結局元のまま歌われるようになりました。当時、影響力があった(?)林の強引な力が働いたのではないか? というような思いにかられています。私も詩人の一人として、林の2番は?です。元のほうがずっといい。だから、結果としては、みんな元のまま歌っているのです。
なお、モデルとなった港が、広島の宇品(うじな)港の様子を歌ったという推測がなされ、宇品中央公園には歌碑が建ち、広島県の広報資料などにも採り上げられていますが、この歌ができたときには、まだ、作者たちは宇品に行ったことはなかったようです。

  今月の童謡を皆さんで歌ってください。園、学校、グループでの歌唱、演奏の様子を映像で送っていただけますでしょうか

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